■ 歴代監督の栄光と挫折
■ 若林忠志(わかばやしただし)
◎ タイガース4・6代監督
★4代監督、1942-44、120勝90敗14分、勝率.571
★6代監督、1947-49、214勝172敗10分、勝率.554
1942年、3代・松井繁謙治郎の跡を継ぎ監督に就任。
プレーイングマネージャーとして現役を続行しながらも、
持ち味の七色の変化球でエース投手の座を守りつづけました。
1944年のタイガースは、夏季戦が終わって27勝6敗2分とトップを快走します。
戦争の激化でペナントが打ち切られ、そのまま我らがタイガースの優勝が決定!
27勝中22勝をあげた若林忠志は、チーム初の最高殊勲選手を受賞しました。
戦後は疎開先で会社を経営していましたが、
プロ野球復興の気運が高まった1946年、野球熱が押さえきれず電撃復帰!
翌年1947年から再度プレーイングマネージャーとなります。
しかし、別当薫を可愛がったため、藤村富美男と対立が激しくなります。
球団ともソリが合わなくなっており、2リーグ分立時に
別当薫や土井垣武らを伴って毎日オリオンズに移籍。
その後、西鉄ライオンズでコーチを務め、「野武士軍団」を掌握します。
投手としてだけではなく、指導者としての能力も超一流だったと言えるでしょう。
1964年に野球殿堂入り。
■ カテゴリ内メニュー
|
