阪神タイガース3・7代目監督・松木謙治郎(まつきけんじろう)について。リーグ優勝はできなかったものの、選手層が薄くなった戦後のタイガースを支えきった采配は○。

阪神タイガースがイチバンや〜!!

■ 歴代監督の栄光と挫折

■ 松木謙治郎(まつきけんじろう)

◎ タイガース3・7代監督

★3代監督、1940-41、105勝80敗3分、勝率.568
★7代監督、1950-54、355勝272敗9分、勝率.566

タイガース初代主将として人望が厚い親分肌の選手。
藤村富美男や景浦将ら当時の猛者たちを見事に掌握し、
俊足巧打でチームを牽引する不動のトップバッターでした。

戦前の1940年に2代目監督・石本秀一の後を継ぎ、
兼任監督としてタイガースの3代目監督に就任。
就任年は2位だったものの、翌年は主力の出征が重なり5位に低迷します。

4代目監督の若林忠志に後を託して辞任しますが、
戦後の1950年に球団の要請を受けて7代目監督として復帰。

しかし、復帰直後のタイガースは、毎日オリオンズによる大量引き抜き事件で
主力選手の大半がいないという非常に苦しいチーム状態で…。
人材不足のチーム再建に長い間苦心を強いられます。

それでも就任期間中の5年間でBクラス転落はたった1度だけ。
選手とよく酒を飲み交わす酒豪で、人心掌握術は目をみはるものがありました。

1954年に大阪球場で真田重蔵のファールを巡って審判と大モメ。
退場で藤村富美男の連続出場記録がストップするなどの大騒ぎとなり、
この大阪球場事件と5年間優勝できなかった責任を取り、同年10月に監督を辞任。

その後も、大映と東映の監督を歴任し、多くの有力選手を育成。
1978年には野球殿堂入りを果たしています。

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