■ 伝説の虎戦士たち
■ 景浦将(かげうらまさる)
◎ 史上最強の呼び声高い豪傑スラッガー
【出場期間】 1936-39、1943
【ポジション】 外野手 3塁手 投手
【通算成績】 323試合、307安打、25本塁打、222打点、28盗塁、打率.271
【通算成績】 56試合、27勝9敗、防御率1.58
【タイトル】 最高勝率1回、最優秀防御率1回、首位打者1回、打点王2回、1965年野球殿堂入り
1932年に松山商の投手兼3塁手として、甲子園で春優勝、夏は準優勝。
立教大に進んでからは外野手に転向、六大学野球の花形選手となります。
松山商の先輩、タイガース初代監督・森茂雄に誘われ1936年入団。
「日本版ベーブルース打法」と命名された打撃は豪快そのもので、
ケタ外れのパワーで重いバットを振り回し、ホームランを量産しました。
「沢村栄治VS景浦将」の対決は、「巨人VS阪神」伝統の一戦のはじまりでもありました。
しかし、森茂雄監督は、ペナントレースがはじまってすぐに解任されてしまいます。
後任となった石本秀一監督とは折り合いが合わず、また給与面でも不満があった模様。
打球が飛んできても知らんふりしたり、わざと空振りしたりするなど、ことあるごとに対立。
それでも先発から外されなかったのは、結果を残していたから。
「ここぞ!」という場面で、指を1本立てベンチに臨時ボーナスを要求し、
石本監督がうなずくと、必ず快音を残すという嘘のような逸話まであります。
通算記録は、本塁打25本、打率.271と、目をひくものではありませんが、
戦前の粗末なバットで残した記録であることを考えると、
数字だけでその凄さを推し量ることはできません。
1939年には召集され戦地へ赴きますが、1943年にはタイガースに復帰。
しかし、1944年にふたたび召集され、1945年にフィリピンのカラングラ島にて戦死…。
最強スラッガーの早すぎる最期が惜しまれます。
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